平成初めのバブル期のことです。
私の親しい知人が大阪府郊外で中古戸建てを所有していました。
ある日突然、奥さんの故郷である宮崎へ移住することを決意したとの話を聞いて驚きました。
その年の正月、知人家族が宮崎を訪問した際、両親の実家の近くで邸宅が売りに出ていました。
具体的な計画はなかったそうですが、実際に現地で物件を目の当たりにしたことで
その思いが一気に現実的なものとなったとのことでした。
宮崎は奥様の出身地であり、親戚も多く住んでいたため、移住への決断を後押ししたようです。
広々とした物件の敷地に加え、豊かな自然に囲まれ、美しい海や山が身近にある環境は
子どもたちがのびのびと過ごせる理想的な場所だと直感したそうです。
大阪では3階建の戸建3LDKで、家族6人の生活は限界を感じていたとのことでした。
奥様にとっては土地勘があることも大きな安心材料となり、決断までにそれほど
時間はかからなかったとのことです。
小学校・中学校に通う4人の子どもたちがいましたが、大阪での生活に慣れていたにもかかわらず
家族全員が移住に納得してくれたとのことでした。
引っ越し後は、新しい環境のもと、地域の人々の温かさに触れ、コミュニティの一員として
迎え入れてもらえると感じ、移住を決断してよかったと喜んでおられました。
ただ、一方で、ご主人の転職問題が最大の課題となったようです。
当時はまだリモートワークが普及しておらず、宮崎では新しい職場を探さなければなりませんでした。
大阪にいた頃と比べると仕事の選択肢は狭まり、給与面での待遇も下がったものの
物価の安さが生活費の負担を軽減し、それが移住のメリットとして実感できる点だったそうです。
しかし、それにも増して、地方ならではのゆとりある暮らしや、通勤時間の短縮など
大阪での生活にはなかった利点も多く、家族全体としては満足度が高まり、
家族の絆も強くなったと喜んでおられたのが印象的でした。
(1)二拠点生活を考える 【大阪編】 … 続く