平成1年頃のバブル時のことです。
この頃は大都市はおろか、地方都市や田舎に至るまで日本全体の地価が高騰していました。
当時、「日本全体の土地を売却すれば、アメリカ全土が4つ買える。」
と言われるぐらいの凄まじいバブルでした。
今思えば、日本中が地価の高騰で熱狂していた時代でした。
淡路島もその例外ではありませんでした。
私の父は淡路島の出身ですが、今まで『ど田舎』だった島に
《世界一の吊り橋》といわれる明石海峡大橋が10年後に開通するのを機に
「分譲住宅や保養所の建築も視野に入れ、購入に乗り出したい。」
と熱っぽく語り始めていました。
淡路島の将来の利便性を見越して、これに目をつけた多くの不動産業者が
神戸や大阪はもちろんのこと、全国各地から物件を買いあさりに来ました。
淡路島へは大阪の天保山から高速艇が運航されており
乗客の中にはアッタシュケースを持った不動産業者も大勢いました。
「島やのになんでこんなに高いねん」とぼやいている人もいました。
宿泊でお世話になった地元の民宿のおばさんまでが
本業そっちのけで熱心に不動産物件の斡旋を行っていました。
地元の不動産の売主も強気で、日を追うごとに値段をつり上げるという異常な状況でした。
特に国道沿いや海が見える物件の価格が異常に高騰し、
国道沿いの地価は安いところでも坪50万近く、津名町(現淡路市)や
洲本市の中心街は坪100万を超える物件も出てきていました。
そんな中、弊社も父の会社も地元の不動産業者に頻繁に顔を出し、苦労に苦労を重ね
数多くの業者との競り合いの結果、やっとのことで数物件を手に入れました。